株式会社モリタネ

歴史

真心をこめて。

商売に打ち込むこと100余年。
4代続く店として、モリタネは地元のお客様に愛されてきました。
創業から今に至るまで変わらないのは、商売に対する想い。
良質な商品を提供してお客様に喜んでもらうことこそが私たちの喜びです。
お客様のことを第一に考え、
真心込めて地域の暮らしが豊かになる商売を続けていきます。

明治44年 昭和40年 昭和60年 昭和60年 平成20年
1911年(明治44年)11月
埼玉県大里郡妻沼町に「森商店」を設立
明治44年創業。その歴史は下駄屋から始まった 明治44年創業。その歴史は下駄屋から始まった

モリタネの歴史は、現社長のひいおじいさんが森商店を開業したことに始まります。今から100年以上前、明治44年のことでした。主に扱っていたのは下駄。今なら靴屋さんでしょうか。店の周辺は田畑に囲まれていたため、下駄屋の隅に野菜の種も置いていました。養蚕農家も多い場所で、初代は蚕の餌となる桑の仲買人のようなことも担いました。モリタネは創業当初から地域の農業を支えていたのです。

1946年(昭和21年)6月
商号を「森種苗店」に変更
聖天山の参道近く、“門前の種屋”と呼ばれて

店は日本三大聖天の一つとして参拝客でにぎわった妻沼聖天山の“種屋”として知られ、種の販売も順調に増えていきました。しかし、当時種が売れたのは4月から10月まで。種を自家採取する農家が多く、農業資材もなかった時代、種だけでは商売が成り立たず、2代目で森種苗店となってからもしばらくは下駄と種の2本柱で商いを続けました。

聖天山とは

妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)は、高野山真言宗の仏教寺院として1760年(宝暦10年)に建立。御本堂は、日光東照宮を思わせる精巧な装飾建築で、「埼玉日光」とも称されています。2003年から約7年の歳月をかけて平成の大修理が行われ、昔の輝きが現代に蘇りました。2012年には国宝に指定されています。

明治44年創業。その歴史は下駄屋から始まった

昭和40年代になると、大手種苗メーカーが病気に強く、収量が上がる種を開発。どの農家もこぞって品質の良い種を購入するようになり、モリタネも種の販売をぐんぐん伸ばしていきました。そうした中、3代目が決断を下します。「うちは種屋でやっていく」。そのためには下駄屋のイメージが邪魔になると、店にあった商品の下駄を全て燃やしてしまいました周囲の心配をよそに、種苗専門店への覚悟を決めた日でした。

1982年(昭和57年)9月
「モリタネ妻沼1号店」を現在の住所に出店。
地域初の農業専門大型店として販売を開始。
車社会とともに

昭和57年に本店を現在地に移転。車社会の発展を見据え、店の前には駐車場を設けました。当時はまだ珍しいロードサイド型店舗で、種、農薬、肥料、農業資材など作物づくりに必要な全てのものがそろった大型専門店も埼玉ではここだけ。店はあちこちから車で訪れるお客様で繁盛し、今につながる堅固な経営基盤を築いていきました。

明治44年創業。その歴史は下駄屋から始まった

本店の成功で事業ノウハウを蓄積したモリタネは、多店舗展開し、マーケットを拡大。そんな中でも大切に守ったのは、「良いタネは共に栄える」の理念でした。知識や経験を生かせば事業の多角化もできるのかもしれませんが、モリタネがこだわったのは、種の専門店として作物づくりをサポートする商売。良い種の販売を通じて地域の方々と共存共栄していくことが目標でした。

  • 1987年(昭和62年)2月
    試作試験農場を開場
  • 1995年(平成7年)3月
    農業パワーセンター
    モリタネ群馬(2号店)出店
  • 2001年(平成13年)2月
    深谷店「モリタネグリーン」を出店
  • 2009年(平成21年)2月
    太田市に群馬店「モリタネ群馬」
    として移転
  • 2011年(平成23年)11月
    創業100周年
  • 2021年(令和3年)3月
    「モリタネ群馬」閉店
種の先駆者として

創業100余年を経た今、モリタネは考えます。種を売る店は他にたくさんあっても、種に特化した商売を続けてきた自分たちは、種を扱うプロの中でも一番でありたいと。モリタネはこれからも農家さんの良きパートナーとして、家庭菜園の楽しさを支える店として力を尽くしていきます。
種の先駆者としてより専門性を高め、日本一の種屋を目指していきます。